・知らない世界

人間はなぜ、目的もないのに知らない世界を覗きたくなるのか

このサイトがやっているのは、まさに「目的のない覗き見」。人はなぜそれを面白がるのか、この場所の理由を考えてみました。

別に知りたいわけじゃない。

知らなくても、たぶん何も困らない。

なのに、なぜか気になる。

SNSを眺めていて、知らない国の風景が流れてきた。

「ここ、どこなんだろう」

そう思って調べる。

その国について、別に旅行に行く予定なんてない。

でも、なんとなく調べてしまう。

知らない店を見つけたら、どんな店なのか気になる。

変わった形の建物を見つけたら、なんでこんな形なのか調べたくなる。

知らない言葉を見かけたら、意味を知りたくなる。

そして、ひとつ調べると、またひとつ気になる。

気づけば、最初に何を調べようとしていたのかすら忘れている。

こういう時間って、よく考えると不思議だ。

何かを達成しているわけでもない。

仕事に役立つわけでもない。

お金になるわけでもない。

なのに、面白い。

どうやら人間には、こういう「意味のない探索」をしたくなる性質があるらしい。

「知らない」が、気になってしまう

心理学では、好奇心を説明する考え方のひとつに「情報ギャップ」というものがある。

簡単に言えば、

「自分はこれについて知らない」

と気づいた瞬間に、自分の中に小さな空白ができる。

そして、その空白を埋めたくなる。

たとえば、

「この人、何者なんだろう?」

と思ったとする。

その瞬間、頭の中には

「何者かわからない」

という状態が生まれる。

すると、その答えを知りたくなる。

面白いのは、最初から答えを求めていたわけではないことだ。

「知らない」ということを認識したことで、知りたい気持ちが生まれている。

つまり好奇心って、

「知識が欲しい」

というより、

「この隙間が気になる」

という感覚に近いのかもしれない。

新しいものは、それだけで気になる

もうひとつ、人間には「新しいもの」に反応する性質もある。

見たことのないもの。

聞いたことのない話。

行ったことのない場所。

知らない人。

予想していなかった出来事。

こういうものは、どうしても目に入る。

脳は、新しいものや予想外のものを見つけると、それを処理するために注意を向ける。

考えてみれば、これはかなり合理的だ。

いつもと違うものがあったら、

「なんだろう?」

と確認したほうがいい。

もしかしたら危険かもしれない。

もしかしたら食べ物かもしれない。

もしかしたら、何か新しいことを覚えられるかもしれない。

そうやって、知らないものを覗いてきたことが、人間が生きていくうえで役に立ってきたのだろう。

……とはいえ。

現代の僕たちが覗いているものの中には、どう考えても生存には必要なさそうなものもある。

「この変な形の椅子、誰が考えたんだろう」

とか、

「この国では朝ごはんに何を食べるんだろう」

とか、

「世界にはこんな祭りがあるのか」

とか。

別に知らなくても、生きていける。

でも、気になる。

「役に立つから知りたい」だけじゃない

ここが、ちょっと面白いところだ。

好奇心による情報探索は、必ずしも「何かの役に立つ情報」を得るためだけに起きるわけではない。

研究では、将来の報酬や具体的な目的につながらなくても、新しいものを探索したり、不確実なことについて情報を得ようとしたりする行動が、人間や他の霊長類にも見られることが整理されている。

つまり、

「これを知ったら何の得がある?」

という問いに答えられなくても、人間は知りたくなる。

これは、効率だけで考えるとちょっと変だ。

今の時代なら、なおさらだ。

検索すれば、だいたいの答えは出てくる。

AIに聞けば、もっと速い。

必要な情報だけを取り出そうと思えば、昔より圧倒的に簡単になった。

それなのに僕たちは、目的もなく情報を眺めている。

たまたま見つけた記事を読む。

知らない人の話を読む。

知らない街の写真を見る。

知らない世界を覗く。

そして、

「へぇ」

と思う。

それだけ。

「へぇ」で終わってもいい

もしかすると、ここが大事なのかもしれない。

情報には、

「役に立つ情報」と

「役に立たない情報」

がある。

でも、人間が面白いと感じるものまで、全部「役に立つかどうか」で判断しなくてもいい。

知らないことを知って、

「へぇ」

と思って終わる。

それだけでもいい。

むしろ、そのくらいでいいのかもしれない。

何かを学ばなければならない。

成長しなければならない。

仕事に活かさなければならない。

将来のためにならなければならない。

そうやって、何をするにも理由を求めていると、いつの間にか「面白いから」という理由が使えなくなってくる。

でも、本来の好奇心って、もっと自由なんじゃないだろうか。

「なんか気になる」

それだけで覗いていい。

「ちょっと面白そう」

それだけで知っていい。

その先に何があるかなんて、わからなくてもいい。

だから、人間は寄り道する

考えてみると、人間はずいぶん昔から寄り道が好きだった。

予定にはなかった道を歩いてみる。

知らない店に入ってみる。

旅先で予定を変えてみる。

本屋で目的の本とは違う本を手に取る。

隣の人が読んでいる本が気になる。

ふと見えた路地の先を覗いてみる。

たぶん、全部同じなんだと思う。

「その先に何があるかわからない」

という小さな不確実さが、

「ちょっと覗いてみよう」

という気持ちを生む。

そして、その「ちょっと」が意外と楽しい。

人生って、案外こういうところで面白くなるのかもしれない。

効率だけを考えたら、寄り道は無駄だ。

目的地だけを考えたら、必要のない道だ。

でも、寄り道をしない人生って、たぶんちょっと味気ない。

何の役にも立たないものを、眺める時間

AIがどんどん賢くなって、

必要な情報は、必要なときに、必要なだけ手に入るようになっていく。

それは、とても便利なことだ。

でも、だからこそ逆に、

「必要じゃないものを見る時間」

が面白くなってくるのかもしれない。

知らなくてもいい。

役に立たなくてもいい。

目的がなくてもいい。

ただ、

「なんだこれ?」

と思ったものを覗いてみる。

そこから、

「へぇ」

とひとつ知る。

そして、また次の「なんだこれ?」に出会う。

たぶん僕は、そういう時間が好きなんだと思う。

何かを成し遂げるためじゃなくて、

ただ、ちょっと面白いから。

そう考えると、

目的もなく知らない世界を覗いている時間って、

意外と無駄じゃないのかもしれない。

いや。

無駄でもいいのかもしれない。

だって、人間って、そういう不合理なところがあるから面白いんだから。